石垣島でわんの保護活動をしてます。
涙あり、笑いありのボランティア日記。
少々すっトボケてはおりますが、本人は至って真面目・・・なつもり!?
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
色々とあったんだけど、事細かく書いてると更に1か月くらいかかってしまいそうなので(苦笑)
ここは時系列で(公私混同ごちゃ混ぜで)チャチャッとご報告させてもらう事に。。。
まずは5カ月ほどさかのぼって・・・
【7月】
かねてから病気療養中(肝臓病)であった、我が家の四男坊・Pちゃん(享年13)がお星さまに。。。
在りし日のPちゃん(左・♂)&兄弟犬のQちゃん(右・♀)
Pちゃんを那覇へ送る為、箱に移そうとしたまさにその時、それまでPちゃんがいる部屋に近づこうとしなかったQちゃんが突然現れて、匂いをクンクンしたかと思ったらその次の瞬間、Pちゃんの口元をペロペロと舐め始めたのだ・・・なんでだかはわからないが、きっとQちゃんはQちゃんなりに事態を理解し、最後にお別れの挨拶をしに来たんではないかと
(あっし的には、正直言っての亡骸をネット上で公開する事にどうしてもためらいを覚えてしまうのだが、今回ばかりはこの光景をどうしても皆さんにも一目見て欲しく・・・やっぱり兄妹なんだよなぁ~)
Pちゃんはそれはそれはとても穏やかな子で、私にとっても心の支え&癒し&天使のような存在だっただけに、Pちゃんを看取った瞬間、そしてしばらくの間はさすがのあっしも心身共にかなりメゲて落ち込んでしまってた
13年間Pちゃんと一緒に暮らす事が出来て、母ちゃんはものすごーく幸せだったよホントありがとね~~~
【8月】
保護主から依頼されたチビわん「8兄弟 男の子その②」 が、神奈川に住む里親・Oさんの元へ。。。
名前は『ラリー』
募集時のラリー
↓
そして・・・ 現在のラリー
【9月】
同じく保護主から依頼されたチビわん「8兄弟 女の子その②」が、東京都に住む里親・Nさんの元へ。。。
名前は『ゾーイ』
募集時のゾーイ
↓
そして現在のゾーイ
ラリーもゾーイも兄妹それぞれに、心優しい里親さん宅にて幸せに暮らしてまふ
【10月】
9月20日に保健所から引き取って来た『実吉』
美吉…我が家にて
約1か月ほどのトライアル期間を経て、西表島に住む里親・Iさんの元へ。。。
あっしの所へ来るまでの間には、色々と複雑な事情が盛り沢山にあっただけに、里親・Iさんが「この子」と云って、進んで里親として申し出て下さった事がなによりも有り難かった
実吉ホント良かったのぉ~
今度こそ幸せに暮らすんだよ~~~
・・・でもって、それと並行してあっし…めまいの症状で1週間ほど寝込む
俗に云ふ"更年期障害"っつうヤツ
【11月】
4月2日に保健所から引き取って来た『花緒』が神奈川県に住む里親・Kさんの元へ。。。
引き取って来たばかりの花緒(我が家にて)
保健所から引き取って約半年…当初の予想に反して、決まるまでに長くかかってしまったが、今回とても良いご縁に恵まれた。
先住の2頭の内の1頭を亡くされ寂しくされてたところ、ご主人の実家の石垣島に里帰り中に、たまたまホームセンターに貼ってあったわんわんclubの募集チラシの中の『花緒』を見て一目惚れ
その日の内にお見合いして、その翌日も再び会いに来て下さり、そしてそのまた翌日にはそのまま正式なお申し込み…と、あれよあれよと云う間に話がまとまった。
ご夫妻はお二人+老犬(13歳)のちゃんとの暮らしで、奥さんはトリマーさん、そしてご夫妻とも大のわんこ好き(どちらかというとご主人の方がよりわんこが大好き)
ご近所には、トリマーや動物看護師をしてる後輩さん方が沢山いらっしゃるとの事で、これ以上にない理想的な条件の里親さんご夫妻
ご近所には、トリマーや動物看護師をしてる後輩さん方が沢山いらっしゃるとの事で、これ以上にない理想的な条件の里親さんご夫妻
子供達もろとも飼い主から捨てられてしまい、放浪の末、再び人間の手によって保健所に連れ込まれてしまった花緒・・・容姿&性格ともにメチャクチャ良い子だけに花緒にはなんとしても幸せになって欲しかったので、今回のKさんとのお見合い成立は、もぉ本当に嬉しくて嬉しくて仕方ない
花緒はやっぱりラッキーガールだったね
にはこの場をお借りして・・・『花緒』を6月まで預かって下さったカズミさん、そしてその後を引き継いで預かって下さり、ブログ『なずなおおばこ』で花緒の日常を紹介して下さったぺんぺんさん、お二人には改めてお礼を申し上げます。
花緒の一時預かりにご協力下さいまして、本当にありがとうございました
カズミさん宅で居候してた頃の花緒
ぺんぺんさん宅で預かって頂いてた時の花緒・・・
毎日のようにビーチへ連れて行ってもらってたね
里親・Kさん宅にて。。。
先住の子とも上手く云ってるとの事
そして同じく11月の・・・
17日(日)
保護わん・蔵之介(享年12)がお星さまに。。。
テリア系にありがちな、見た目の容姿の可愛さとは裏腹に、人間に対して好き嫌いの激しい子だった。
(この人好き~)と思う人には、尻尾フリフリで大人しく撫ぜさせてくれるのに、(あっ!コイツ嫌い…)と思う人に対しては老若男女問わず、それこそ牙を剥いてう゛ーーーーーっと唸る始末で、蔵之介の好き嫌いの判断基準は、ずーっと一緒に過ごしてきたあっしでさえも最後の最後まで読めず仕舞いだった。
保護して何年間かはチラホラと問い合わせや申し込みもあったのだが、性格の複雑さが仇となり、結局のところ我が家で生涯を閉じる事となった。
誰に対しても損な生き方しか出来なかった蔵之介ではあったが、お星さまになる前の1か月間ほどはすっかり赤ちゃん返りしてしまい、抱っこしても大人し~くされるがままで、とにかくあっしにベッタリの甘えん坊さんになっていた・・・そんな蔵之介の事がことさら愛おしく想え、めちゃくちゃ素直で可愛かった
一つ悔やむとすれば、蔵之介には優しい里親さんの元で幸せな暮らしを経験させてあげたかった・・・ホントにゴメンよ
でもね蔵ちゃん・・・我が家に来てくれて、ホントありがとね
・11月22日~12月1日
東京の実家へ帰省
1週間ほど両親の世話に明け暮れた後、相棒の姪っ子の結婚式の為、大阪へ移動
東京から大阪までは新幹線で行ったのだが、新幹線にまともに乗ったのは実に20年ぶりかなぁ~
相棒とは大阪で待ち合わせだった事もあり、そこは一人旅と云う気軽さも手伝い(今度はいつ乗れるかもわからんし、どうせならば・・・)と、『のぞみのN700系』をあえて選んでみた。
頭の中で描く列車の旅・・・
・新幹線
・右側の窓際の座席
・駅弁
・お茶
幸いにも全ての条件が揃い(普通に考えれば当たり前なのだが)、駅弁食べながら見た富士山の眺めは、そりゃもぉ、素晴らしいわ(富士山)、美味しいわ(駅弁)、楽しいわ(テンションが上がりっぱなし)・・・で(これであっしも、この世に思い残す事はない)と思ったくらい最高の瞬間であった。
うっひゃっひゃ~これを見てるだけでも、テンションが上がりまくりだぜぃ
そして大阪へ到着。。。
喜んでたのもつかの間で、楽しい時間、幸せな瞬間ってそう長くは続かないもんなんだよね
何が原因となったかは今もって不明なのだが、その日の夕方くらいからまたまたクラクラとめまいの症状が起こってしまい・・・結局、翌日の姪っ子の結婚式には参列できず(義姉さん&姪っ子・桃ちゃん、ホンマにゴメンなちゃ~い)、相棒が一人で出席・・・あっしはその日一日ホテルの部屋でジーッと寝ていた
・・・でもって、
キャンセルの効かない航空券だった事もあり、その翌日にはフラフラしながらもなんとか這うように石垣へ戻ってきた
しかし、まぁ、
あたしゃ、いったい何しに大阪へ行ったんだろ
ホント情けないったらありゃしない
【12月】
心臓肥大で2カ月くらい前から病院通いをしていた保護わん・和美(なごみ・享年10)が、16日(月)にお星さまとなってしまった。
心臓肥大にありがちな“咳と呼吸困難の症状”は、傍で見ているあっしでさえも心配で寝られなくなるほど苦しそうだった。
なんとかほんの少しでも楽にしてあげられたら・・・と云う一心で、ネットであれこれと調べまくり、電話相談を受けたところから漢方薬を取り寄せ。
届いた日は、すでにご飯をあげた後。
翌日から・・・と思っていたら、その日の昼間に虹の橋を渡って行っちゃった。
その前の晩から危険な兆候はあった。
ただでさえビビりん坊の和美・・・自分の体の異変に不安がる和美に夜中何度も起こされ、あっしもほとんど寝てない状態でそばに寄り添って、ずーっとずーっと胸を撫で続けてあげてた。
仕事も休みたがったのだが、その日はどうしても出勤せねばならず、出かける間際まであっしのそばを離れない和美に対して「母ちゃんが帰ってくるまで絶対に待っててね!」って云ったのに・・・それが和美との最後のお別れとなってしまった
仕事から戻ってきたら、他のみんなは迎えに出て来てくれたのに、いつも真っ先に出てくるなごみの姿がなかった時の不安は今も忘れられない。
そして洗面所前の廊下のところで横たわってすでに冷たくなっていたなごみを見つけたあっしは・・・頭の中が真っ白になり、何も出来ずになごみのそばに座り込み、ただただボーッとしてるだけだった。
苦しい状態が続いてたにもかかわらず、唯一救いだったのは、亡くなる日の朝もみんなと一緒にお散歩へ行きおしっこ&ウンチもしたし、朝食であっしらが食べるパンやヨーグルトのおすそ分けもしっかり食べてくれてたし…それだけでもまだ幸せな亡くなり方だったかなぁ~と。
なごみの笑顔はホント最高だね
翌日に火葬の為、那覇へ送ったなごみ・・・昨日、あっしの元へ再び戻ってきてくれた。
今は、Pちゃん(緑色)、蔵之介(白色)と共に、(お骨となってしまったが)仲良く並んでいる
みんな、一緒だから寂しくないよね。。。
この5か月間、自分の年齢から来る症状と闘ったり、3頭の高齢犬達のお別れと向きあったり・・・と、相変わらずバタバタとして悲喜こもごもとした日々を送ってきたが、あっしはあっしなりに、今後も自分のペースで出来る事をやって行ければと思ふ。
いつも応援やご支援、そしてご協力して下さる皆さん、なかなかこまめにご報告やご返事が出来なかったりしてご心配をかけまくっておりますが、なんとかあっし自身は生き延びており頑張っておりますので、これからも呆れる事なく引き続き温かく見守って頂ければ幸いにございます・・・デス
花緒はやっぱりラッキーガールだったね
にはこの場をお借りして・・・『花緒』を6月まで預かって下さったカズミさん、そしてその後を引き継いで預かって下さり、ブログ『なずなおおばこ』で花緒の日常を紹介して下さったぺんぺんさん、お二人には改めてお礼を申し上げます。
花緒の一時預かりにご協力下さいまして、本当にありがとうございました
カズミさん宅で居候してた頃の花緒
ぺんぺんさん宅で預かって頂いてた時の花緒・・・
毎日のようにビーチへ連れて行ってもらってたね
里親・Kさん宅にて。。。
先住の子とも上手く云ってるとの事
そして同じく11月の・・・
17日(日)
保護わん・蔵之介(享年12)がお星さまに。。。
テリア系にありがちな、見た目の容姿の可愛さとは裏腹に、人間に対して好き嫌いの激しい子だった。
(この人好き~)と思う人には、尻尾フリフリで大人しく撫ぜさせてくれるのに、(あっ!コイツ嫌い…)と思う人に対しては老若男女問わず、それこそ牙を剥いてう゛ーーーーーっと唸る始末で、蔵之介の好き嫌いの判断基準は、ずーっと一緒に過ごしてきたあっしでさえも最後の最後まで読めず仕舞いだった。
保護して何年間かはチラホラと問い合わせや申し込みもあったのだが、性格の複雑さが仇となり、結局のところ我が家で生涯を閉じる事となった。
誰に対しても損な生き方しか出来なかった蔵之介ではあったが、お星さまになる前の1か月間ほどはすっかり赤ちゃん返りしてしまい、抱っこしても大人し~くされるがままで、とにかくあっしにベッタリの甘えん坊さんになっていた・・・そんな蔵之介の事がことさら愛おしく想え、めちゃくちゃ素直で可愛かった
一つ悔やむとすれば、蔵之介には優しい里親さんの元で幸せな暮らしを経験させてあげたかった・・・ホントにゴメンよ
でもね蔵ちゃん・・・我が家に来てくれて、ホントありがとね
・11月22日~12月1日
東京の実家へ帰省
1週間ほど両親の世話に明け暮れた後、相棒の姪っ子の結婚式の為、大阪へ移動
東京から大阪までは新幹線で行ったのだが、新幹線にまともに乗ったのは実に20年ぶりかなぁ~
相棒とは大阪で待ち合わせだった事もあり、そこは一人旅と云う気軽さも手伝い(今度はいつ乗れるかもわからんし、どうせならば・・・)と、『のぞみのN700系』をあえて選んでみた。
頭の中で描く列車の旅・・・
・新幹線
・右側の窓際の座席
・駅弁
・お茶
幸いにも全ての条件が揃い(普通に考えれば当たり前なのだが)、駅弁食べながら見た富士山の眺めは、そりゃもぉ、素晴らしいわ(富士山)、美味しいわ(駅弁)、楽しいわ(テンションが上がりっぱなし)・・・で(これであっしも、この世に思い残す事はない)と思ったくらい最高の瞬間であった。
うっひゃっひゃ~これを見てるだけでも、テンションが上がりまくりだぜぃ
そして大阪へ到着。。。
喜んでたのもつかの間で、楽しい時間、幸せな瞬間ってそう長くは続かないもんなんだよね
何が原因となったかは今もって不明なのだが、その日の夕方くらいからまたまたクラクラとめまいの症状が起こってしまい・・・結局、翌日の姪っ子の結婚式には参列できず(義姉さん&姪っ子・桃ちゃん、ホンマにゴメンなちゃ~い)、相棒が一人で出席・・・あっしはその日一日ホテルの部屋でジーッと寝ていた
・・・でもって、
キャンセルの効かない航空券だった事もあり、その翌日にはフラフラしながらもなんとか這うように石垣へ戻ってきた
しかし、まぁ、
あたしゃ、いったい何しに大阪へ行ったんだろ
ホント情けないったらありゃしない
【12月】
心臓肥大で2カ月くらい前から病院通いをしていた保護わん・和美(なごみ・享年10)が、16日(月)にお星さまとなってしまった。
心臓肥大にありがちな“咳と呼吸困難の症状”は、傍で見ているあっしでさえも心配で寝られなくなるほど苦しそうだった。
なんとかほんの少しでも楽にしてあげられたら・・・と云う一心で、ネットであれこれと調べまくり、電話相談を受けたところから漢方薬を取り寄せ。
届いた日は、すでにご飯をあげた後。
翌日から・・・と思っていたら、その日の昼間に虹の橋を渡って行っちゃった。
その前の晩から危険な兆候はあった。
ただでさえビビりん坊の和美・・・自分の体の異変に不安がる和美に夜中何度も起こされ、あっしもほとんど寝てない状態でそばに寄り添って、ずーっとずーっと胸を撫で続けてあげてた。
仕事も休みたがったのだが、その日はどうしても出勤せねばならず、出かける間際まであっしのそばを離れない和美に対して「母ちゃんが帰ってくるまで絶対に待っててね!」って云ったのに・・・それが和美との最後のお別れとなってしまった
仕事から戻ってきたら、他のみんなは迎えに出て来てくれたのに、いつも真っ先に出てくるなごみの姿がなかった時の不安は今も忘れられない。
そして洗面所前の廊下のところで横たわってすでに冷たくなっていたなごみを見つけたあっしは・・・頭の中が真っ白になり、何も出来ずになごみのそばに座り込み、ただただボーッとしてるだけだった。
苦しい状態が続いてたにもかかわらず、唯一救いだったのは、亡くなる日の朝もみんなと一緒にお散歩へ行きおしっこ&ウンチもしたし、朝食であっしらが食べるパンやヨーグルトのおすそ分けもしっかり食べてくれてたし…それだけでもまだ幸せな亡くなり方だったかなぁ~と。
なごみの笑顔はホント最高だね
翌日に火葬の為、那覇へ送ったなごみ・・・昨日、あっしの元へ再び戻ってきてくれた。
今は、Pちゃん(緑色)、蔵之介(白色)と共に、(お骨となってしまったが)仲良く並んでいる
みんな、一緒だから寂しくないよね。。。
この5か月間、自分の年齢から来る症状と闘ったり、3頭の高齢犬達のお別れと向きあったり・・・と、相変わらずバタバタとして悲喜こもごもとした日々を送ってきたが、あっしはあっしなりに、今後も自分のペースで出来る事をやって行ければと思ふ。
いつも応援やご支援、そしてご協力して下さる皆さん、なかなかこまめにご報告やご返事が出来なかったりしてご心配をかけまくっておりますが、なんとかあっし自身は生き延びており頑張っておりますので、これからも呆れる事なく引き続き温かく見守って頂ければ幸いにございます・・・デス
PR
この記事にコメントする
カレンダー
12 | 2025/01 | 02 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
リンク
最新コメント
[06/07 てやんでぇ!]
[06/06 YAMA]
[06/05 てやんでぇ!]
[06/05 ちゃまママ]
[06/03 てやんでぇ!]
最新記事
(06/18)
(09/23)
(02/06)
(08/25)
(08/18)
プロフィール
HN:
てやんでぃべらぼうめ!
HP:
性別:
女性
自己紹介:
東京生まれの東京育ち
・・・が何を思ったか、1993年に突然(?)石垣に移り住む。
1999年
わんの保護活動を目的とした『わんわんclub』を個人的に立ち上げる(・・・でもって、未だに一人きり・・・って、一体どう言うこっちゃ!?)
かに座
O型
怠け者でものぐさなあっし・・・ブログ更新もまめには出来ないと思うので、1週間に1度位の割合で覗きに来て下せいやし☆
・・・が何を思ったか、1993年に突然(?)石垣に移り住む。
1999年
わんの保護活動を目的とした『わんわんclub』を個人的に立ち上げる(・・・でもって、未だに一人きり・・・って、一体どう言うこっちゃ!?)
かに座
O型
怠け者でものぐさなあっし・・・ブログ更新もまめには出来ないと思うので、1週間に1度位の割合で覗きに来て下せいやし☆
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
フリーエリア